ヴェルディの仮面舞踏会を観に、ロイヤルオペラハウスになんと3回も行きました。同じオペラに2回行くことは結構ありますが、3回も行くのは初めて。3回目はお目当ての歌手の病欠に備えての予備切符だったのですが、最初2回とも全員予定通り出たにも拘わらず、すごく良かったので他人に譲るのがもったいなり、結局全部自分で使いました。


豪華な顔ぶれ

3回も行った理由は歌手陣の豪華さ。ニューヨークのメトロポリタン歌劇場の出演歌手はたいてい羨ましいくらい豪華で主役(3人の場合が多い)全部を有名歌手で揃えることもよくあるようですが、悲しいかなロイヤルオペラハウスはせいぜい一人、ごくたまに二人。ダブルキャストのときなどAキャストとBキャストを混ぜて、ケチなことにきっちりとAキャストばかりがかち合わないようにしてあります。だけど今回は凄いですよ。きっとDVDにするのでしょう。マルセロ・アルバレス(テノール)、トーマス・ハンプソン(バリトン)、カリタ・マッティラ(ソプラノ)と今が盛りのトップ3人を揃えました。

marcelo alvarez


アルバレスには私はずっとずっとベタ惚れで、甘くて伸びと張りがあり輪郭のはっきりした端正な声だけでも一番のご贔屓にするのに充分なのに、その上ハンサムで(テノールにしては)背も高い(テノールにしては)。ひとつ惜しいことに彼はかなりのデブなのですが、幸い顔はまん丸じゃないし太い体は衣装で隠れるからラブシーンも充分に様になる二枚目。強いて欠点をあげれば、芝居が下手なのです。表情も乏しいし、一人腕をぶんぶん振り回すだけという一昔前のスタイル。さっき視覚面は重視しないと言ったばかりなのに早くも矛盾しますが、折角容姿に恵まれてるんだから、お芝居(一番簡単でしょうが)ちょっとなんとかして欲しいなあといつも思います。でもそれはマイナーな問題で、もうずーっと聴き続けていたいあのお声(3回も行ったのはこれが目的)、うっとりです~。彼が例えヘチャムクレでも愛してます・・多分。彼を今まで何度も聞きましたが、特にこの仮面舞踏会はテノールの見せ場がたっぷりで、誰でも口ずさめるメロディではないけどCDのテノールアリア集にはよく登場するアリアがいくつかあって、困難な高音もないし、テノールにはとてもおいしい得な役だということがわかりました。

thomas hampson 2

トーマス・ハンプソンは長身で細身でハンサムなアメリカ人。もちろん十分うまいのですが、上手なバリトンが掃いて捨てる程いる中で彼がバリトンのトップグループにいられるのは絶対にあの映画スター並みの容貌がモノを言ってるわけで、その上、私は彼が若い人に教えるマスタークラスを真近で見たことありますが、お喋りも仕草も魅力的な女殺しの伊達男です。アルバレスとちがって芝居もそつなくこなし、特に今回の妻の浮気を疑う怒りに満ちた夫役は単純で簡単な役ではありますが、必死に声を張り上げていつもより声量たっぷりだったあし、メーキャップで凄みをつけた顔も更に舞台映えし、トップのスター性と実力を見せてくれました。

mattila

カリタ・マッティラは日本ではあまりお馴染みではないかもしれませんが、英米では実力派で知られるノルウェー人ソプラノ。ウェールズのカーディフで一年おきに開かれる新人コンテストの初代チャンピオンなのでイギリス人にはこの国で発掘した歌手という意識もありいつも好意的な評価を得ています。金髪で長身、女優のキャメロン・ディアスをきつくしたような北欧美人で、細く高くピュアな声が売り物。彼女は女優並みの演技力で、大袈裟になる一歩手前のリアルな芝居にいつも感心します。今回も死ぬ前に一目息子に合わせてと嘆願するシーンで(ストーリーは後で説明)、一番多くの拍手が送られました。いつもの突き抜けるような細い声が、少し太くなってかすれ気味の日もありましたが。

指揮者は若いけどロイヤルオペラハウスの音楽監督で一人でオペラの音楽面を背負っているアントニオ・パッパーノ。ワグナーからイタリア物、前衛的な新作も幅広くこなす彼はこのオペラハウスの宝です。ムーティがクビになったミラノのスカラ座から誘いの手が伸びているそうで、そりゃそっちの方が格が上ですが、お願い、行かないで下さい!


ストーリー


荒唐無稽で馬鹿馬鹿しいストーリーの多いオペラの中では、これはかなりましな方で、出てくるのは神様やらおとぎ話の人物ではないので、等身大で理解も同情もできます。一応スエーデン国王の暗殺という歴史的事実に基づいてはいますが(1792年に舞踏会で暗殺されたグスタフ3世)、大幅にフィクションなのでしょうが、それでもそのままだと問題にされたため、普通はどこかの国の在ボストン総督にすり変えたバージョンが使われます。今回もそうですが、ボストンでヨーロッパ貴族風の舞踏会というのも想像しにくいので、ここは元通り舞台はスエーデンを想像する方がぴったりですが、まあどうでもいいことです。


オペラには必須とも言える三角関係がベースですが、そのうち二人は夫婦なので、これは珍しい不倫モノでもあります。しかし不倫はオペラでは絶対成就してはいけないので、別れるかどちらかが死ぬしかありません。この場合ボストン総督で公爵でもあるリカルド(デブのテノール)が独身で(単身赴任かも)、腹心の部下であり親友のレナート(長身ハンサムのバリトン)の妻アメリア(金髪美人)を密かに愛しているのですが、子持ちのアメリアもこの夫の上司のことが気になって仕方がありません。

でも二人とも「ばれなきゃいいんだから遊びで付き合おう」などとはもちろん思わず、アメリアは諦める方法を探そうとしてあやしげな占い師を訪れ、ある場所で採れる草をある時間に摘んで煎じて飲みなさいと言われます(そんな効用のある漢方薬もあるんだ)。それを盗み聞きしたリカルドがその場に現れて愛を告白。真夜中の処刑場というおよそラブシーンにふさわしくない場所でたっぷりの濡れ場。

そのまま誰も来なかったらどこまで進んだかわからない二人ですが、こんな所になんとレナート(部下&夫)が現れるのです。仕事熱心な彼は、政治的理由で総督暗殺を図る一味がいるため心配でこっそり後を付けてきたのです。深夜残業、滅私奉公です。かまってもらえない寂しい妻はだから他の男にふらふらしてしまうんですよ。真夜中に家を抜け出したって気が付いてもらえないのですから。

やばいな~と真っ青の総督は、ここにいると危ないから一人で逃げるように促され、彼女を置いて逃げてしまいます。彼女のことは一応心配ですから(そりゃそうだ)、ベールで顔を隠している彼女をその部下&夫に無事送っていくよう命令します。決して話し掛けてはならないが、と釘を刺して。そこへ暗殺一味がやってきて、総督のデート相手は誰かな~とベールを引っ剥がすとなんと自分の妻ではないですか。暗殺団にあざ笑われた夫は当然怒り狂い、暗殺の陰謀に加勢することを決心。

さて自宅で二人になった夫婦。顔に泥を塗られた夫は、怒りをぶちまけるアリアで妻に自害を命じ、妻は、上司が色目使ってきたからついちょっとフラっとしたけどそれで死ななきゃならない程のことじゃないでしょ!と反撃するも割りとあっさり諦めて、せめて一目息子に会いたいと夫にすがり付き、ヒロインの一番の聞かせどころのアリアを熱唱。一方の総督は愛し合っていると確認し合ったものの、やはりいけないことだと悟り、彼なりの諦める方法として人事異動を使うのがよかろうと、夫婦に急遽転勤命令を出して目の前から追っ払うことにします。


その夜は総督主催の仮面舞踏会。暗殺はそこで決行されることになっています。ここが視覚面でお待ちかねの場面です。それまでの処刑場やら占い師の掘っ立て小屋とかの暗いセットが一変してきらびやかな舞踏会になり、コーラスの人たちがカラフルな衣装をまとってシャンデリアの下で優雅に踊ります。お面を被っているので誰だかわからない筈の仮面舞踏会ではありますが、なんとかつきとめたレナートが総督をナイフで刺します。彼はもちろん現行犯で逮捕されるのですが、オペラですから主役が簡単に死ぬわけがなく、瀕死の総督はレナートを無罪にし、ほら故国に帰してあげるつもりだったんだよと帰国命令書を見せ、たしかに愛し合ったけど裏切りというほどのことはしていないから潔癖な細君を許すように言い残して死にます。

尚、伏線として、占い師に手相を見てもらった総督が「最初に握手した人に貴方はまもなく殺される」と言われて、事情を知らないレナートが握手するのですが、これはあらすじにあまり関係ないだけでなく、運命だの怪しげな占いだのが絡んでくると普通の人たちという要素が薄れるので無視した方がいいと思います。


3回見て思ったこと

このオペラを地味だがヴェルディの作品の中での隠れた名作という説もあるとどこかで聞いたことがありますが、まさにその通りではないかと。全ての面でバランスが取れているように感じます。個人的にもヴェルディの中でもアイーダや椿姫ほど聞き飽きてもいないし。特にテノールの聞かせどころが多いので、良いテノールが出ていれば魅力たっぷり。もっともテノールはいつも人材不足なのでこれはほとんどの場合無いものねだりなのですが。だからマルセロ様(デブのテノール、アルバレス)が出ていれば私は何度でも行きます! 彼が出ていれば作品としてはつまらないオペラにでも行くのですが。・・すみません、マルセロ様のことはこれくらいにしないと、冷静に書けませんね。


今回は新プロダクションでで、3回行ったうちの一回目は初日。どんな舞台セットと衣装や演出か誰も知らないのでわくわくします。元の設定は18世紀終わりですが、18世紀後半に読み替えてあり、男性は現代とさして変わらない軍服姿、女性はヒップを後ろに膨らませたロングドレス。セットも衣装も抽象化されてなくて極めて写実的。壁一面の女性数人を描いた油絵、すっきり過ぎる占い師の掘っ立て小屋、ごみ溜め処刑場、板張り壁だけのレナートの居間、と平面的で工夫のない暗い色調のセットが続きます。なんなのあれ?という銅像も出てきましたが。まあここまではいいでしょう。でも最後の舞踏会のシーンは期待してますからね! きっとぱっと明るくてきらびやかでカラフルにちがいない。

で、幕が上がって何があったかというと、これが舞台一面の巨大な鏡。それだけ。観客が驚いてどよめいたのは、自分たちが映っていたからです。向こう側に馬蹄形の客席がそのままあって、あっ自分があそこにいる!というのはちょっと笑えます。しばらくして、鏡全体が斜めに傾斜し、舞台の下に地下室が作ってあってそこにいる着飾った人たちが上から見えるというアイデアです。鏡を利用するセットは時々使われる手で、安上がりでもあり一見効果的に見えるのですが、妙な角度で人が動くのを見ると私は気が散って集中できなくなるし、平衡感覚なくなって不安定な気分になるので好きではありません。楽しみにしていたカラフル豪華衣装は残念ながら出てこず、女性のドレスはわずか2、
3色の薄い色だけで色彩的にも豪華さにおいても今までにみたこのオペラのこのシーンとしては一番地味だし、なんだか人数も少なくて、経費節約イベントになってしまったのはがっかりでした。初日のカーテンコールには舞台のデザイナーと演出家も出てきて、よくブーイングされるのですが、その夜はちょっとだけのブーイング。大きくブーするほどの斬新なアイデアすらなかった工夫のない舞台だったということでしょう。

パフォーマンスへの聴衆の反応は、最初の日はアメリアの「死ぬ前に子供に会わせて」アリアに一番ブラボーが多く、新聞でも絶賛されました。そうなると、2回目以降は期待度がうんと上がるせいか、私は2回目以降の方が声もよく出て上手だったと思うのですが(初日は彼女ちょっと声がかすれてた)、なぜかブラボーがそれほどでもなかったです。


3回とも、さすが超一流の人たちだと満足のいく舞台でしたが、3回のうち2回はいつもの安い(13ポンド)天井に近い席、一回は折角のマルセロ様をまじかに見るために舞台の袖でオーケストラを横から見下ろし指揮者の顔もよく見える席にしました。2列目で44ポンド。最前列だと50ポンド。この
stageと呼ばれる席は以前いつも座っていた一番好きな席なのですが、声が生で直接耳に入ってくるし、臨場感も素晴らしくてまるで舞台の上に一緒にいるような気分にすらなります。一方上の席は遠いのですが後ろの壁にはね返って程よいエコーが付き、これはこれで心地よい音だし、字幕も見易いし、ラブシーンでテノールよりソプラノの方が背が高くても(よくあること)、誰が誰より高いのがわからないので気になりません。そしてなんといっても信じられないくらいの安さは捨てがたいです。私は今までに色々な席を買って試しましたが、この二つが値段の割にはお得な席だと思います。でもお忘れなく、これは音重視で視覚面はこだわらない私の個人的意見です。

余談:3回と言いましたが実は1回目は遅刻したので正確には2.7回くらい。遅刻の理由は、恥ずかしながら開演時間の誤解。たいていは7時半だけど、今回は7時スタートだったのです。そんなに長いオペラじゃないのになあ。たしか休憩がいつもより長かったしなあ。などとブツブツ言っても私の責任。いつも早合点なんだから。)