敬愛するバレンボイム先生へ


先生の演奏をはじめて聴かせて頂いたのは4年前のリサイタル。何をお弾きになったのかははっきり覚えていませんが、様々な作曲家の色んな種類の曲を演奏して下さり、それまでに有名ピアニストは多数聴いていましたが、ピアノというよりまるでオーケストラのような多彩で広がりと重なりのある音、間の取り方も名人芸で、さすが当代随一の総合音楽家といたく感動致しました。

その一年後にまたリサイタルを聴かせて頂いたときは、きっと私の期待度が高過ぎたせいでしょう、もちろん一流の演奏なのですが、前回程の出来とは思えず少し失望しました。でも次の切符が発売になったときには、一年以上も先のことでしたが、オーケストラとの共演とリサイタルの両方すぐに良い席を確保して、長~い間楽しみにしていました。


先月やっとその日が来て、4月17日の日曜日の午後にロンドン・シンフォニー・オーケストラをバックに先生はブラームスのピアノ協奏曲をなんと2曲も弾いて下さいました。普通は1曲だけのところを2曲、それも簡単なショパンなどではなく、あの難しいブラームスを! でも、その日の先生は前の晩にも同じコンサートをなさったばかりでお疲れだったのでしょうか(あの2曲を連日弾くなんて狂気の沙汰)、指が時々もつれて何度か音をミスしたばかりではなく、体調がかなりお悪いのではないかと心配するほど顔もこわばっていらっしゃいました。或いは「若いときは完璧に弾けたこのブラームスを、やはり何年ぶりかでろくに練習もせずにやるのはやはりしんどかったかのう」と自己嫌悪に陥っていらしたのかなとも至近距離にいた私は感じました。新聞批評では「いくつか音は飛ばしたが、そんなことは大したことではなく、あの大難曲を微妙なタッチと深い洞察力、洗練された表現力で立派に弾きこなした」と誉められていて、それはまさにその通り。並みの人にできることではなく、滅多にない緊張感のある大イベントとなりました。でも、正直申して、先生程の腕前と音楽感覚があれば(少なくとも4年前にはあった)、練習を積めばどれほど素晴らしい演奏になり得たことかという残念な気持ちを押さえることができませんでした。


そして、5月1日、今度はリサイタル。会場にはリターン切符を待つ長い行列ができていました。ロンドン郊外に住む私は余程でないと週末にわざわざ都心に出て来ませんが、日曜日の午後、勉強で忙しい娘と夫まで連れて来ました。席は先生から5メートル離れたやや鍵盤寄りの真中で20ポンド。ほぼ理想的な位置で、気合が入っていないと手に入る切符ではありません。買ったときは曲目未定で、直前になっても
web siteではJSバッハの「プレリュードとフーガを含む」としかわかりませんでしたが、当日そのbook1-24だけとわかり、一緒に行った音楽学校ピアノ科卒の友人が「えっ、こんな簡単なのだけ? 私、高校生のときに弾いたよ。それにこれ練習曲だからコンサートで弾くものじゃないよ。何を弾いても切符が売れる彼だからできることだよね」と言うのを聞いて、一気に楽しみが減りましたが、まあそれでも、先月の練習不足演奏を先生が反省して今回は準備万端で臨んでくれれば一世一代の素晴らしいバッハになるかもしれないと・・。しかし、席に付いたとき、舞台の上にあってはならない物を見て驚きました。

なにかというと、分厚い音符がピアノの上に置いてあったのです。・・ふーん、さっきまで必死で稽古していたのかな~? 

でも先生、ま、まさかあれ見ながら弾くんじゃないですよね~?? 

何十回とピアノリサイタルに行きましたが、そんな人誰もいませんでしたよ。・・・でもそのまさかだったのです。この曲は全ての鍵盤を使う短い部分の寄せ集めで、合間に自分で音符をめくることができるので、先生は何十回もめくりながらいくつかやっては何秒か休みながらお弾きになりました。神童と呼ばれた先生のこと、まだほんの少年のときからお弾きになったにちがいない曲です。まさかそれ以来弾いたことがなかったわけではないでしょうが、弾き慣れているのかとても軽々と素晴らしい部分と、必死で楽譜を見て弾く部分の差が大きくて、スムーズにいかない一部の箇所は先生ならこの程度の演奏なら初見でもできるにちがいないと思わせるほどでした。

休憩後の後半部分の演奏はそれでも打って変わったと思わせるほどの素晴らしさだったのですが(私の期待度がぐーんと下がったのも一因かもしれませんが)、なぜか残念なことに最後のピースで大きく崩れてしまったのでした。最後が大切なことは先生が一番ご存知のはずなのに。


終わってすぐブラボーの嵐になったわけではありませんが、最後はカーテンコールにスタンディングオベージョンをする人もたくさんいたのは驚きました。私は立ちませんでしたが、あのうちの何人かは「こんなことではこれからは指揮に専念するだろうからピアノ演奏はここでは最後かもしれない。今までご苦労様」という意味で立ったのでしょうか? それなら私もジョインしましたが。もしまた先生がロンドンで弾いて下さることがあっても、私はもう行かないと思います。

先生、今までありがとうございました。今後は指揮者としのご活躍を心からお祈り申し上げます。 


余談:幕間にロビーでロイヤルオペラハウスの音楽監督パッパ-ノを見つけたので、話し掛けて握手してもらっちゃいました! いつもは恥ずかしくてそんなことできませんが、今日はなんと着物姿の私、気分も高ぶっていたのでしょう、勇気が出ました。パッパ-ノはワグナー歌劇で有名なドイツのバイロイトでバレンボイムの弟子だったので、今日は差入れでも持って師匠の応援に来たのでしょう。先月のブラームス2曲の指揮者は彼でした。コンチェルトをリハーサルするときのソロ演奏者と指揮者の攻防はきっと面白いにちがいなくて覗けるものなら是非見てみたいものですが、特にかつて師弟関係にあったこの二人があの難曲をどう協力して創り上げたのかは興味あるところ)