6月16日にロイヤルオペラハウス(以下ROH)にリゴレットを観に行きました。

ヴィクトル・ユーゴーの原作が、オペラではどれだけ変わっているのかは知りませんが、せむし男のリゴレットは公爵家の道化役。自分が仕える好色の公爵に娘ジルダをてごめにされ、復讐に殺し屋を雇って公爵暗殺を諮りますが、公爵を愛するジルダはその陰謀を立ち聞きし、自ら身代りになって殺されるという悲劇。

娘のジルダはオペラ・ヒロインの不幸ランキングで上位入賞まちがいなし。幼い頃母親に死なれて修道院で育ち、3ケ月前に父親と一緒に住むようになったけど、このせむしのおとっつぁん、お前が一番大事だよとは言うけど、職業も隠してるし、自分の名前すら教えてくれない。その上監視付きで家から出してももらえない。だから、唯一許される教会行きで素敵な青年に出会ったことはもちろんお父さんには内緒。その青年が彼女の家を探し当てて訪ねてくれて愛を告白してくれたときは幸せだったけど、すぐにリゴレットに恨みを持つ人たちに拉致されてしまう。連れて行かれた先は公爵家で、僕は貧しい学生なんです、なんて嘘付いてたけど(ジルダが、そうだったらいいのにというのをもれ聞いたからだけど)、なんと彼が公爵。だから手篭めといっても、嫌だったばかりじゃなく、そのままそこで妾として暮らすこともできただろうに(こっちの方が絶対楽しいよね)、オヤジが怒って殺し屋まで雇っちゃうんだもの。そのままだと愛する人は殺されて、あとはこの親父と逃亡者として放浪するしかない・・・。そりゃ死にたくなるよね。

そう、すべてこのオヤジが悪い。リゴレットは道化師といっても他愛無いジョークで笑わせるのではなく、人の不幸をあざ笑って主人のご機嫌取りしてお気に入りの座を確保してるので、皆からやっかみと嫌悪感を持たれていて、リゴレットの家に女が住みだしたのを誰もが彼の妾だと思い込み、だから日ごろの恨みを晴らすためにその妾をさらって公爵に差し出そうと計画したわけで、誘拐はリゴレットの日ごろの行いから生じた災い。かわいそうなはジルダでござい。


書いてたら、段々腹が立ってきたわ。


一番許せないのは、皆の前で辱められて辛い思いをしてるジルダが「私、でもまだ彼を愛しているの。許してあげて、お父さん」と懇願してるのに聞き入れないこと。ほんとに自分勝手な偏屈親父だ!それにサラリーマンは誰だって嫌な思いをしてるけど、だからって雇い主を殺してちまって、老後の蓄えや再就職の目処はあるのか、お前は?


娘が身代りになって死んだとき、「呪いだ~!」と叫んだけど、そうじゃなくて、全部お前の責任だ!


この親娘に比べて若い公爵は全然難しくない役で、テノールはただ美声を張り上げてノー天気に歌っていればそれでよし。明るければ明るいほどリゴレットの暗さ惨めさが際立つし。美しいアリアも2、3曲あって、女性といちゃつくシーンの多い得な役。


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先日、ROHでの椿姫の通算上演回数が395回とか書きましたが、このリゴレットはそれよりも多くて、その日458回目。ユーゴー作のストーリーが感動的だからそんなに頻繁に上演されるわけではもちろんなく、音楽が優れているからです。

「女の心は風に舞う羽のよう~♪」という誰でも知ってるテノールの「女心の歌」が永遠の大ヒットであるだけではなく、ジルダが初恋の想いを切々と歌う「慕わしい人の名は」はコロラチューラ・ソプラノの名曲だし、リゴレットが公爵家の郎党に娘を返してくれと懇願する壮絶なアリアは円熟バリトンの聞かせどころ。中年バリトンの誰もがやりたがる堂々のタイトル・ロールです。他にも酒場の中と外で4人(主役3人プラス酒場のネエチャン)のそれぞれの思いが溶け合う四重唱等々、印象的なメロディが目白押し。


ROHでこのプロダクションがはじまったのは5年程前でしょうか、そのときの舞台はDVDになっていますが、公爵がアルゼンチンの人気テノールのマルセロ・アルバレス、ジルダはドイツ人ソプラノ、クリスティーネ・シェーファー、リゴレットは今回も出演のパウロ・ガヴァネリ。テノールとソプラノは有名スターだけど、リゴレット役のバリトンは聞いたこともなかった。なんでこんな人を?


舞台セットは明らかに経費節約。巨大な灰色のメタル風の板の表は窓だけで、これが公爵邸。貴族の屋敷らしさを表すには椅子ひとつだけ。メタル板の裏側は2階建ての掘っ立て小屋になっていて、鉢植えを置いたらリゴレットの家、テープルと椅子に変えたら場末の酒場という設定で、観る側にかなりの想像力が求められるというこの頃の典型的なロイヤルオペラハウスの安普請。遠くに座ると舞台に灰色の板ばかり見えて不愉快な眺めです。


でも公爵邸の人々の時代劇衣装は、落ち着いた色調ながらカラフルで細かいところが洒落ていてとても素敵です。最初のシーンは乱交パーティで、いきなりオッパイ丸出しの女性が二人現われます。コーラスの人たちも衣装はまともですが、それぞれよく見るとすごーくいやらしい行為をしてます。私は舞台から至近距離の席だったのでよーく見えましたよ。今回が3回目の上演ですが、更にエッチを過激にしたそうで、そういえば今回はじめて男同士のエッチシーンに気がつきました。全裸の男女もからみシーンもあります。一番値段の高い席からは角度の関係でほとんど見えないでしょうが、以前座った横の上の席からはすべてばっちり見えてしまいましたわ。


一緒に行ったカルメンさんは顔を赤らめて、こんなの必要ないと憤慨してました。たしかに必要はないです。そう言えば、新プロダクションのときテレビで生放映したのですが、まだ早い時間で子供も見てる時間帯なのにこんなの映してけしからんと言われ、でもこれは芸術なんだからと反撃してました。

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今回のリゴレットは6月と7月にダブルキャストで行われるのですが、腹が立つことに、ケチっていっぺんに良い歌手は出さないので2回行かなくちゃならないのですよ。6月の目玉はソプラノのアンナ・ネトレブコ、7月はバリトンのディミトリ・ナントカスキーという名前がどうしても覚えられないロシアの銀髪男。どちらももテノールは大した有名な人は出ません。


ということで、今回の3人を個人的に批評してみると、


まずリゴレット役のパウロ・ガヴァネリ。ちょっと前に日本でフォルスタッフをやったらしいので少しは知られているかもしれませんが、ずんぐりむっくりの彼は立ってるだけでせむし男の悲哀が醸し出されるぴったりのルックス。この役はあちこちでやっているらしいので身振りもきまって総合的には合格点なのですが、芝居を見ないで歌だけ聞いたら、駄目ですね、全然迫力なし。もともと私はこういう輪郭のはっきりしない声が好きではないし。

嗚呼、全盛期のレオ・ヌッチを生で聴いてみたかった!

しかし、これを来月は長身でハンサムでリゴレット役には若すぎて、その上大根役者で歌の表現力の乏しいロシアの銀髪男がやるのか~・・・。うーん、ある意味、すごく楽しみ。

gaveneli


お次は今回の中では唯一のスター、ロシア人のアンナ・レトレブコ。ゲルギエフの秘蔵っ子だった5年ほど前にキロフオペラのガラではじめて見たときは、まあなんてほっそりして初々しくて新鮮だこと、と思いましたが、そのときに比べると今は声も体も少し太くなって、成熟した女性になりました。ジルダはオペラの中でも可哀相で同情を買う役なのですが、彼女のジルダは清純さと従順に欠け、父親に逆らうちょっと突っ張った女の子。世間知らずという設定からは身振りも声も外れているので、この役は普通に考えると彼女向きとは思えませんが、でもこういうジルダがいてもいいかも。しかし世界的スターになってまだ日が浅いとは言え、今が旬の輝きと、しかもまだこれから伸びる可能性を感じさせて、声のうんと高い部分は一瞬無理があったものの、少しくぐもった陰のある伸びのある声はとても魅力的。 もうちょっとしたらキャラ的にも声質的にもトスカができるのではないかしら? 

netorebuko

公爵役はポーランド人のピョートル・ベッツァーラは、まあまあとしか言いようがないテノール。声量は充分だけど特に魅力的でもない声で、わあ素敵と思うほど上手じゃないけど、足を引っ張るほど下手じゃない。一本調子の歌い方が残念だけど、素質は悪くない。まだ若いし、一流歌手の中に混じっても、「今日はテノールがめっちゃんこ下手だったねえ」とは言われないと思う。そう感じる舞台は多いので、これはちょっとした誉め言葉ですからね。そういえばちょっと前にグノーのファウストに出ていて、これは去年の夏にアラーニャが歌ったばかりで、そのすぐ後の二番手としては不利な立場で、期待もしてなかったけど、これもまあまあだった。これはもっと難しい役でしたけどね。

出番は少ないけど殺し屋役のバス、エリック・ハーヴァソンは、ROHのおなじみさんで、低~い声がなかなかの迫力。一緒に観にいったカルメンさんは彼をすっかり気に入った様子。禿げてて目がぎょろっとした中年の、ユル・ブリンナーに似たアメリカ人ですが、カルメンさんはユル・ブリンナーが憧れだったそうで、なるほど、納得です。ま、人の好みは様々ですから。