「テロに屈せず今まで通りの普通を生活を」という心意気はありながら、「どうしてもという用の無い人は都心に出てこないように」という警察の通達があったので、爆破で被害を受けた地下鉄数箇所以外の公共交通機関がほとんど通常通りに運行されていたにも拘わらず、ガラガラのロンドンでした。


私が働くシティのオフィスも、出勤した人はとても少なくて、四分の一弱くらいでしょうか? 私は仕事が溜まっていて、週末も出てこようとしていたくらいなので、やることは山程あったのですが、窓の外でずっと救急車かパトカーのサイレンが鳴っている環境では気が散って仕事などできるものではありません。

サイレンの理由は、あちこちで怪しい小包が通報されたからにちがいないです。過剰反応といたずらの両方でしょうが。Liverpool Street駅もその裏の広場も一時閉鎖され、少し離れた通りのバスにも怪しい物が見つかったようです。それはほんの一部で、きっとロンドン中で警察は何百回も通報を受けて出動したにちがいありません。

ランチタイムを過ぎた頃に帰宅許可が出たので、どうせ仕事は捗らないし、午後2時退社して帰宅することに。ガラガラの地下鉄でスムーズに帰れました。

その自宅からの最寄駅で、一人の女性に声を掛けられました。その人はほぼ毎朝同じ駅から地下鉄に乗る40歳くらいの黒人女性で、「昨日は私、いつもより少し遅かったけど、いつもの時間に乗る人たちは丁度危ないところだったはずだから巻き込まれたかどうか心配で、貴女のことも思い浮かんだわ。無事でよかったね。」と言ってくれました。喋ったことすら一度もない人なのに、暖かい言葉を掛けてもらって嬉しかったです。


自宅のパソコンにも私たち家族の安否を心配する友人からたくさんのメールが届いていました。ありがとうございました。心配をお掛けてすみませんでした。私は会社からは外部メールを送りにくいルールになっているので返事はできませんでしたが、こういうときブログは便利で、とりあえず無事であることをメッセージに投稿しておきました。タイミングの悪いことに、緊急メンテで数時間使用不可になってしまいましたが。


今日は早く帰れたのでテレビのニュースを見ることができましたが、エリザベス女王やケン・リビングストン市長の力強いメッセージは心に染みました。

今回のことはいつか起こるにちがいないと誰もが思っていたことで、もちろんショックではありましたが、驚きはしませんでした。もっと大規模な攻撃も覚悟していたし、そういう事態に備えて警察や関係者は時々訓練もしていました。

80~90年年代によくあったIRAの爆弾騒ぎも私はよく知っているし、乗ってる地下鉄から何度強制避難させられたことか。しばらくその脅威がほぼなくなって安心していたのですが、911以降また車内の怪しい勿体にびくびくする日々がはじまりました。全く心配なしで地テ鉄に乗ったことなどありません。

IRAは、建物は破壊しても、なるべく犠牲者を出さないような配慮がありましたが、今恐れているのはそんなことお構いなしのようなよう人たちのようですから、それは背筋がぞっとする程怖いです。


でも、怖いと言えば、日本の地震だって突然起こり得るわけで、種類はちがえどそちらも、というかそちらの方が恐ろしいような気がしますが・・。

全く、どこかに天災人災の心配がなくて且つ文化が高くて住みやすい場所はあるといいですよね。

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ところで、私は自分のニアミスは会社の近くで起こった爆発だけだと思っていたのですが、ついさっき実家から帰って来て、事件以来はじめて会ったトーチャンに、私が乗っていた車両はEdgeware Road駅近くで爆発した車両とすれ違っていたはずだから、あと5分早く爆発していたら、或いはあと5分私が早く家を出ていたら危なかったなと言われて、あらためて幸運だったと思わざると得ませんでした。

だって昨日は本当にいつもより5分遅く家を出たんです。一昨日オペラで遅く帰宅したけど、どうしてもオリンピック決定記事をブログに投稿しなくてはならないと思って無理して1時過ぎまで書いていたので翌朝しんどくて起きられなかったので。

自分はかなり強運な方だと信じている私ですが、オペラとブログとオリンピックのおかげで命拾いしたかもしれません。