日本でも人気のあるヨーヨー、会場には日本人も多かったですが、日曜日の午後、珍しく中国人の姿が目立ちました。
舞台に現われたヨーヨーは、ダークグレーの背広にありふれたネクタイというまるっきりのビジネスマン姿。シティにあるバービカンの外を歩いていたら、完璧に邦銀の支店長さんにみえるでしょう。チェロケースを抱えてなければ、ですが・・。
私の席は前から2列目で、ヨーヨーから5、6メートルしか離れていないので、彼の唸り声や溜息、呼吸の音まで聞こえました。演奏中はほとんど目を閉じて無我の境地に浸るヨーヨーですが(ときには薄ら笑いを浮かべてちょっと不気味)、登場するときや拍手を受けるときは満面に笑みを浮かべ、今日は客席に知り合いがいたのか喋りかけたりウィンクしたり、いつもサービス精神の塊のような人です。私はミーハーファンでもあり、ずっと百面相のハンサムな顔や大きくて美しくて優雅に動く指をうっとり眺めてました。
私はこれまでヨーヨーの演奏を何度も見ましたが、現代音楽や他分野とのコラボレーションに熱心な彼は前衛的でへんてこりんなものやアメリカのウェスタン音楽に基づくものとかをやることが多くて、そして「エーっ、又そんな妙なやつなの~」と思っても切符はいつも売れ切れるので(私もつい買ってしまう)、でもいつか原点に戻ったまともなクラシック音楽が聞きたいものだとずっと思ってました。
そしてやっとその願いが叶い、今日は待ちに待ったバッハの無伴奏チェロ組曲。曲目Suite No.3 in C BWV1009, Suite No.5 in C minor BWV1011, Suite No.6 in D BWV 1012の3曲。ずっとヨーヨーの一人舞台。
バロック音楽は静かで単調なリズムと思ったら大間違いで、バッハの独奏曲は情熱的で変化に富み、演奏には超高度なテクニックが必要なので、下手くそが演奏したら聞いてられませんが、幸いヨーヨーのバッハはテレビ等でよく聴いた通りの出来。実は何度も聴いたうちには、ヨーヨーなんか下手になってない?と思ったこともあり、曲目は覚えてないですが、先回は音量も不足で音も濁っていてそう感じたのでした。
バッハの音楽にはいつも表面的な娯楽ではなく、もっと高尚なものへ近づきたいというほとばしる気持ちが感じられ、敬虔なクリスチャンであった彼は自分の音楽を神に捧げるために書いたそうですが、それはキリスト教の神様という狭い概念ではなく、精神的に高尚なもの、時間も時代も超えた永遠の魂の昇華とでも言いましょうか、うまく言えませんが、なにか大きなものを表している気がします。
バッハのチェロ・ソロ曲はそれを大胆かつ繊細に自由自在に表現した奥の深い名曲で、たんにメロディを奏でるだけではとても太刀打ちできない技術的精神的難曲。ヨーヨーはこれらをこれまで長年演奏し続けてきて、様々な演奏形式で、ちょっと前に坂東玉三郎の舞踏とのコラボレーションまで試みたほど入れ込んでいるライフワークとも言えるチャレンジでしょう。
新しい音楽に興味を持って新規開拓するのも大事でしょうが、新しい曲が絶対敵うはずもない文句なく素晴らしいバッハも折々は弾いてもらいたいものです。
アンコールを3曲弾いてくれましたが、その中で素晴らしかったのは中国の曲。伝統的な京古典音楽ではなく映画のテーマ曲のようにも聞こえましたが、バッハとは根本的にリズムの異なる曲は彼のルーツを思い起こさせてしっとり心に残ります。
バイオリンほど華やかで小回りがきかないし、他の楽器と合奏するとどうしても脇役になってしまうチェロですが、こうして一人で弾いて主役になると、弦の低音の力強さと迫力がじかに迫ってきました。
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このリサイタルはバービカンのGreat Performancesというシリーズで、一流演奏家や歌手の切符を一気に一年分売り出し、11月3日のルネ・フレミングのリサイタル もその一環でした。
ヨーヨーのリサイタルもとっくに売り切れでしたが、シリーズの中で真っ先に売り切れるのはメゾ・ソプラノ歌手チェチリア・バルトリ にちがいありません。
そのリサイタルがこの7日にあり、最前列の席でカルメンさんと着物で出かけようという二重の楽しみもあるのですが、なんせ2回に一度はキャンセルという前科者の彼女、果たして歌ってくれるかどうか。楽器演奏者は手でも骨折しない限り演奏しますが、歌手はちょっと風邪気味ならハイそれまでよ、ですからね。
チェチリア、風邪ひいたらだちかんよ~!
風邪といえば、私もこの4日間鼻風邪でぐつぐつでしたが、やっと直りました。一年に二度ひくことはまずないので、この冬はこれでもう大丈夫かと。