8月31日はダイアナ妃の命日。あの衝撃の日から早くも9年が経ちました。


彼女はいまだに多くの人々の心の中に生きているのでしょうが、彼女への追悼として、もしあの事故が起こらなかったら、という私の妄想を書いてみました。


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ダイアナは今46歳。もちろんまだ輝くばかりに美しくエレガント。ハロッズのオーナーのあのタヌキ親父のドラ馬鹿息子とはあれからすぐに別れ、その後すぐに知り合った大富豪のアメリカ人男性と結婚。


少し年下の彼は初婚。インテリではないが、ダイアナと釣り合う長身の金髪碧眼のハンサム。定職は持たず、先祖代々の財産の管理と資産運用でそこそこ忙しくはしているが、それでもいつも一歩下がってダイアナのエスコートをし、彼女の活動のよきマネージャーでもある。ダイアナの衣装選びに付き合う余裕もあり、ファッションリーダーとしてアメリカ社交界に君臨するダイアナを全面支援。


かつてはイギリス在住デザイナーの服しか着ることができなかったし、高価なものを身につけると税金の無駄使いなどと批判されたが、今ではよりどりみどり世界中の一流ブランドを優雅に着こなす彼女は常にマスコミの話題の中心で、世界中のファッションショーの特等席の常連。彼女がご贔屓にしてくれたおかげで世に出たデザイナーも数人。



子供は4人いて、7歳の男の子と5歳の双子の女の子、2歳の男の子はみな愛らしく利発。

ウィリアム王子とハリー王子に会うために時々イギリスを訪れ、ダイアナが「長年チャールズを支えてきたカミラは報われるべき」と発言したおかげでとっくに結婚したチャールズ皇太子とカミラとも友好関係を保ち、息子たちの卒業式や入隊式などにも出席。


マンハッタンのペントハウスの他、全米各地に別荘を持ち、自家用ジェット機で忙しく飛び回るダイアナが力を入れているのはチャリティ活動で、資金集めに貢献絶大なだけでなく、病院や老人ホーム、孤児院を頻繁に訪問して病人や恵まれない人を励ます彼女。

バレエの好きなダイアナは、いつくかのバレエ団のパトロンでもあり、世界中のバレエ学校を訪問して才能あるダンサーを発掘して奨学金を与え、その恩恵で一流になったダンサーも数人出現。


こうして、アメリカに長く暮らしても英国の上流階級アクセントは失わず、将来の英国国王の生母としての威厳を保ちながら社会に貢献し、社交界の花形として華やかに、そして幸せな家族生活を送るダイアナ。

生きていれば、こんな公私共に充実した人生を送ることができたかもしれないのに、本当に本当に残念なことでした。



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その代り、彼女の亡骸は実家の広大な庭にある池の真ん中の小島に一人寂しく眠っています。私も行ったことがありますが、美しいお庭であっても、こんなところにたった一人ぽっちで可哀相です。せめて、同じ敷地内の先祖代々の霊廟に入れてあげればいいのに・・。


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心が痛むと云えば、9年前のあの1週間。


日本の皆さんは、まずパリの交通事故で彼女が怪我をしたというニュースから始ったので、死亡のニュースを聞いても覚悟ができていてショックも少なかったでしょうが、イギリス国民にとっては寝耳に水、日曜日の朝目覚めたら信じられないニュースが待っていたのでした。私もはっきり覚えていますが、朝ベッドの中でラジオを付けたらいきなりそのニュースでびっくり仰天。その日は信じられない思いでずっとテレビを観ていました。


翌日、会社ではとても妙な雰囲気でした。誰もそのことについて何も言わなくて(ショック状態だったのでしょう)、ただ黙って働く(振りをする)だけ。そして、ある日の夕方、会社帰りに死体が安置してあるセント・ジェームス宮殿に行ってみたのですが、そこも同じで、あんなに人がたくさんいるのに不気味なほどの静けさ。感情を表に表わないのが美徳とされるイギリス人のこと、黙って泣くのを押しこらえ、時々静かにすすり泣く声がかすかに聞こえるのみ。


お葬式はテレビで観ることにして、その前日に私は休暇を取って、お葬式ルートを歩いてみました。ケンジントン宮殿の芝生はお花とメッセージのカーペットになっていて、ここでも人がたくさんいたのに静寂そのものでしたが、いかに彼女が皆に愛されたかがよくわかりました。私も、ミーハー的興味でしたが、最初から最後まで彼女の姿を見るのが大好きでした。彼女の人と成りについては色んな人が色んなことを言っていて、本当はどうなのかはわかりませんが、真実がなんであれ、あれ程、見るだけで喜びを与えてくれた人はそうはいますまい。


ブーケ1 あらためて、ダイアナさんの冥福をお祈りします、心の中で花束を送りながら・・。