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<9月8日 月曜日 その1>
私の両足の小指のマメは痛みが増す一方ですが、歯を食い縛って、最後の丸一日を楽しみましょう。
終日、今回のテーマの締めくくりに相応しい古代ローマ探訪コース。
2日間うす曇りだったけど、今日はまた突き抜けるような青空が広がって、日向に立ってるだけでくらーっとしそうな真夏日。
まずは、昨晩夜景の写真を撮ったコンスタンティヌスの凱旋門をちょっと見て、
コロッセオColosseoに。入場待ちの列もなくすんなり入れました。
塩野七生さんが「ローマ人の物語」でお書きになったのをそのまま引用すると、
コロッセオは、美的にも技術的にも最高の傑作である。あの大きさにして、重苦しさも単調さも感じさせない。ローマ人の好んだアーチの両側を円柱で締め、アーチ形の空間部には立像を置くという形の連続で成っているのだが、地上部に使われた柱は重厚なドーリア式、二階部の柱はすっきりしたイオニア式、三階部の繊細なコリント式と、階ごとに柱のスタイルを変えることによって、重苦しく単調になるのから救っている。
本当にその通りなのですが、あ、一番上の部分が崩れかけてひび割れしてます。
それに、単純な筒型ではなくて、部分的に二重三重になってるんですね。でも悲しいことに、
また塩野さんですが、
われわれが見るコロッセオは、ローマ帝国時代のそれの三分の一でしかない。キリスト教が支配するようになってからのローマの公共建造物は、格好の石材提供場に変ってしまう。おかげで、取りはずせるものはすべて持ち去られてしまった。アーチごとに置かれていた数多の立像も、壁面をおおっていた大理石板も、すべてが奪い取られた後に残った「骨格」が、今日のコロッセオとしても誤りではない。コロッセオもまた、ドイツの文人ゲーテの言ではないが、イタリアを旅するには肉体の眼だけでは不十分で心の眼も必要である、という一例である。
ほんとに、キリスト教徒は色んな面でローマ帝国の破壊者で、憎たらしい奴らだな、と遺跡を巡りながら何度も思いましたよ。一生懸命往時の姿を想像しようとしても、なかなかね。
さ、中に入ってみましょう。クリックで拡大して、人間さんたちの小ささを感じて下さいね。
長径188m、短径156m、周囲527m、高さ57m、5万人収容。ただし、コロッセオ(巨大)というニックネームの由来は、ここにネロ帝の巨像コロッソがあったからのようです。
かつて床は板張りでその上に血を吸い取る砂が敷いてあったと。今見える床下が剣闘士や猛獣の控え室で、アリーナにはエレベーターでせり上がってきたんだって。
このズボン、昨日ムスメがはいてたね。 石に刻まれてるPOP=トーチャンって意味です(今の英語で)
紀元80年に完成した時の皇帝は、モーツァルトのオペラの主人公にもなってるティトウス帝(ほら、こないだトビー君がバービカンでやった皇帝ティートの慈悲
に出てくる、馬鹿がつく程お人よしの皇帝ね)。
私は3回目か4回目なのでさほど感激はしませんが、初めてのトーチャンとムスメは大喜び。
右の遺跡はコロッセオから見たフォーリ・インペリアーリFori Imperiali。諸皇帝のフォーラム(公共広場)。l
この後、似た感じのフォロ・ロマーノとパラティーノの丘を時間を掛けて午後中歩き回りますが、
その前に、逆方向だけど、私も行ったことのないドムス・アウレアDomus Aureaに寄ってきましょう。
有名なラオコーン像が発見されたというネロ帝の黄金宮殿の遺跡ですが、
残念ながら建物は閉鎖されてて、見られるのはお庭だけ。何もなさそうだから足マメで死んでる私は途中で挫折。
トーチャンとムスメに見に行ってもらい、「なんか面白そうなものが転がってたらケータイで電話してね。這ってくから」、と頼んでおいたけど、辛いのに歩いていく価値はなかったみたい。
しかし、見えるものは残ってなくても、ここがそうかと感じるためだけでも行きたかったんだけど、ほら、コロッセオのすぐ隣ってわけじゃないし、坂道がきつそうだったの。
さっきコロッセオ見学の終わりにトイレに行こうとしたら、またぐるっと回っていかなきゃならないみたいだったので諦めたんだけど、
お腹も空いたしトイレも行きたいので、コロッセオを眺めるレストランで早めのランチ。
この後、炎天下のフォロ・ロマーノを歩くんだから休息もしないとね。
でも、この足で大丈夫かな、とすごく心配してたら、なんと急に痛みが消えたんです リナーシェ~~(オペラファンにしかわからないでしょうが)
さ、じゃあ張り切って歩こうぜ、なのですが、すみません、今日はここまで。
もうちょっとなので一気に終わりたいんですけどね~・・・