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<9月8日 月曜日 その3>


さて、朝はコロッセオ、午後はフォロ・ロマーノとパラティーノの丘を歩いた後、ローマ最後の夜はレストランで夕食をということになり、今まで歩き回った中で一番雰囲気のよかったパンテオンの前の広場にしようと即決まり。


今からぶらぶら見学しながら歩いていけばちょうど良いでしょう。


フォーリ・インペリアーリ通りVia del Fori Imperialiには何人かのローマの皇帝の等身大の倍くらいの像が間隔を置いて立っているのですが(当時からここにあったのね、きっと)、二人だけご紹介しましょう。


左は、初代皇帝アウグストゥス。鎧をつけてますが、彼は武将ではなく体も屈強ではなかったけれど、天才的な政治センスで帝政の基を作った人。さすがジュリアス・シーザーがみこんだ貴公子。


  


もう一人は、トラヤヌス帝 (在位98-117年)にしましょうか。

初めて属州出身で皇帝になったトラさんは、混乱期を経て帝国に平和と領土の拡大をもたらした庶民派武将で、五賢帝の二人め。


そう、注目のハドリアヌス帝のお養父さんです。養子縁組して後継者にしたの死の床だったそうですが。

  


トラヤヌスのフォロに立つ高さ40mのトラヤヌスの記念柱Colonna Traianaにはダキア(現ルーマニア)遠征勝利の様子が彫られて、当然てっぺんには彼の像があったのですが、けしからんキリスト教徒どもが聖ピエトロにすりかえてしまいました。中が空洞だから略奪されなかったのでしょうが、そうじゃなくて大理石の塊りだったらとっくに他のものにされたでしょうね。


隣にはトラヤヌスのマーケットMercati Traianelの遺跡が良い状態で残ってて、ここは商店や食べ物屋が入っていた世界最古のショッピングセンターですね。

     



ここまで来るとお馴染みのVエマニュエーレ記念堂


あ、珍しくトーチャンが座っています。さすがに疲れたのでしょうか。(私は機会があるたびに少しでも座り込んでます)

  

右は、トッレ・アウジェンティーナ広場にあるアレア・サクラ(聖域)。紀元前44年にこでジュリアス・シーザーが暗殺されました。



  
  

16世紀に法王に承認されたイエズス会のジェズ教会Il Gesuは、当初の「質素」にというポリシーから段々外れて、今ではローマでも指折りのゴテゴテ装飾の教会になってしまいましたとさ。甘美で艶っぽい天井絵画とか、お祈りよりも舞踏会向きでは?




  


ナイフとフォークワイン

やっとパンテオンに着き、正面にあるレストランの野外席に。高級ではないですが、まあ美味しかったです。

最後の夜ですから、ワインで乾杯。3人で一本なのでほんのちょびっとですが、この後で夜景ツアーがあるので、しゃんとしてないと。(パンテオンを眺めながら安く食事したい方には、隣のマクドナルドにも素敵なテラス席がありますので)。



  

ここは少しだけ大道芸人がいて、こないだ通ったときはテノールがオペラのアリアを歌っていたので今日も彼がいるといいなと思ったのですが、残念ながらちがう人。でも、パントマイムの若いおにいさんは、通行人をコケにしてすごく面白かったので、思い出に残る爆笑ディナーになりました。


ほんとうにこの広場は、賑やかさと静けさのバランスがちょうど良くて、外で食事するには理想的。もちろん、ハド様のパンテオンが時代を超えて語りかけてくれるのが一番のご馳走ですが。




カメラ三日月

さ、食事の後は三夜連続の夜景ツアーですが、


フォロ・ロマーノがライトアップされてるといいなあと思って市庁舎の裏のテラスに行ってみたのですが、がっかり、真っ暗でした。


でも、カンピドーリオ広場の昼間とはちがう美しさと静けさに、ローマ最後の夜をしんみりと過ごすことができました。


ほんと、ローマの夜は最高でした。全く危険も感じず、イギリスではまず味わえない(日本ともちがう)南国の夏の夜を毎日楽しめました。

  


  

リパブリック広場までバスに乗り、地下鉄と列車でアパートへ。ローマの地下鉄A線はこの通り、すっきり明るくて清潔。たまに乗ったB線はなぜか暗くて落書きなんかあったけど。、遺跡が多くて簡単には地下を掘れないローマですが、現在C線を建設中なので、それができればさらに便利になるでしょう。


明日は午後の便でロンドンに帰るのですが、午前中はまだ目一杯観光しますよ~!


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