オペラ三昧イン・ロンドン
12月29日、会社帰りにバービカンで映画La Bohemeを観てきました。ふんぞり返って映画を観るのはぎっくり腰の身には最も楽な姿勢ですので、ご心配なく。)

日本では2月中旬に封切りだそうですね。詳しくは→こちらの日本語オフィシャルサイト をどうぞ。ストーリーも載ってます。


監督 Robert Dornhelm

ミミ Anna Netrebko

ロドルフォ Rolando Villazon

マルチェロ Boaz Daniel(歌だけ)

ショナール Stephane Degout(歌だけ)

コッリーネ Vitalij Kowljow

でも、これから観ようとしている方はこの記事は読まない方がいいかもです。


ビックリマークあ、でも去る前にお勧めかどうかだけ知りたい方に一言。


「ネトレプコとヴィリャゾンは期待通りの歌と演技なので文句はないですが、脇役たちは可も無く不可もなく、男3人は声が似過ぎてるのが残念。

こないだのMETのタイス とどちらか一本ご覧になるのであれば、迷わずタイスをお勧めします。

以上。さようなら。」

オペラ三昧イン・ロンドン   オペラ三昧イン・ロンドン


さて、舞台をそのまま撮影したオペラは見慣れているオペラファンにとっては、貴重で珍しい映画版オペラ。折角ですから映画でしかできない手法である回想シーンや野外撮影、フラッシュバック等をふんだんに使って、舞台のパフォーマンスとは全く違うものにしてもらいたいじゃないですか。


例えば、ミミが自分の部屋で春を待ってるところとか、二人が一緒に暮らしている様子とか、別れた後でマルチェロが「ミミを見観掛けたよ」って言うところ云々・・歌いながら別の状況を説明している部分はたくさんあるわけで、普段は想像するしかないそれらのシーンを具体的に見たかったですよ~。なのに、それはほんのちょっとだけで(どうでもいいショナールとか)、ほとんど舞台と同じようにただ歌っている顔を映し出すだけって、あまりにも芸がないんじゃござんせんか?ガーン 


でも、それは私の勝手な望みであり、この映画のターゲットはそういうオペラファンではなくて、今までオペラに縁のない人たちのようです。まず生オペラに近いものに接してもらって、このまま劇場に来て貰おうってのが狙いなんでしょうかね?


それならそれでいいのですが、でもそれにしても何でこうなるのよ、と腑に落ちない点がいくつかあるので、監督さんに質問してみましょう。


オペラ三昧イン・ロンドン   オペラ三昧イン・ロンドン


メモDear 監督さん、


Q1

マルチェロとショナールの二人は歌っている人と演技している人がちがうということは知っていたので、きっと俳優を使ったのだろうと思ったのですが、それにしては演技が下手だし、もっと役柄の年齢と容貌に近い若い人を使えばいいのに、と思ったのですが、後で調べてみたら、なんと演技だけしてる二人もバリトン歌手じゃないですか! わけわかんないですよ。

で、どうも撮影中も臨場感を出すためになるべく実際に歌わせたようですね。そうなるとそりゃ俳優ではとても無理でしょうから、実際にその役を歌ったことのある人を選ぶのが簡単でしょうね。


でも、それならば、掃いて捨てるほどいるでしょうから、いくらなんでももうちょっとぴったりの容貌の人を見つけることはできなかったのですか? マルチェロのGoerge von Bergenは個性に乏しくて若くもなく魅力もないし、ショナールのAdrian Erodに至っては禿げ掛けてる中年じゃないですか。


設定として20代の若者の筈のところ、舞台ではしたくてもできない場合が多いので仕方なく中年歌手を使うのだけれど、映画なんだから容貌重視で選ぼうとは思わなかったのですか? チャンバラごっこも若者だから絵になるのであって、おじさんじゃ白けるんですけど。


それともなんでしょうか、ヴィリャゾンが「僕より若くて演技の上手な男は出さないで欲しいな。僕が引き立つのが一番大事だろ?」とでも言ったのでしょうか?


------------------------------------------------------------------------------
Q2

マルチェロ(歌はBoaz Daniel)とショナール(Stephene Degout)はおそらく容貌が合わないという理由で映画に出してもらえなかったものと想像しますが、それならば何故ムゼッタのニコール・キャベルはなぜ出られたのでしょうか?


この役ができる若いソプラノは数多いる中、敢えてビジュアル的に問題ありの彼女をそのままにしたのは、彼女がそこそこ有名だからですか?


あの馬面でどアップに迫られるのが嫌だというわけではなく(嫌ですが)、オペラ初心者を混乱させないためにはなるべく人種的にも正しい人を選ぶべきではないかと思うのですが、それが黒人とコリアンの血も流れているキャベル姐さんですか。生舞台では、父親歌手が黒人で母親が中国人で子供が白人という親子でもノー・ブロブレムですが、リアルな映画ではちょっとまずいのでは?


それとも、なんでしょうか、ネト子ちゃんが「私より美人を出さないで頂戴。私は目の下にクマ取られてブスにされてんだからさ」とでも言ったのでしょうか?


------------------------------------------------------------------------------
Q3

これは私が前から思ってたのですが、この映画ではミミは最初からロドルフォを狙っていて、彼がやっと一人になったので言い訳を作って押し掛けて誘惑し、キスも彼女から積極的に迫り、(この映画では)そのまま自分の部屋に連れてってベッドインまでしてしまうという速攻力なのですが、これは原作にそう書いてあるのですか? 


もしそうだとしたら、援助交際常習犯らしいミミは何故こんな貧乏男を選んだのですか? 病気になった後でもお金持ちを引っ掛けることのできた程魅力的で、且つ計算高いミミであれば、他にもっと割の良い男がいたでしょうに。


-------------------------------------------------------------------------------
Q4
なぜ誰も涙を出さないのしょうか? 舞台では感極まって涙を流しながら歌う歌手も多いのに、リアリティを演出すべき映画で涙が一滴も出てこないのも不自然じゃないですか?

いえ、わざと涙を見せない演出ならそれはそれでひとつのスタイルだからいいのですが、それなら泣くふりはさせない方がいいんじゃないですか? 嘘っぽいすよ、涙無しの泣き顔って。


------------------------------------------------------------------------------

Q5
最後のシーンで、寒くてたまらないと震えるミミの上半身が袖なしの下着姿なのも不思議ですが、なぜ誰も毛布を掛けてあげないのでしょうか? 


ムゼットが買ってきてくれた手を入れるマフラー(なんて呼ぶのでしょうか?)を「ああ、なんて暖かいの」とありがたがるミミの腕が全部剥き出しって、リアリティの欠片もなくないですか? 


それともネト子が「ヴィリャゾンだけ裸を見せてずるい。私も肌を見せたいわ」とでも言ったのでしょうか?


-------------------------------------------------------------------------------

(このままだとヴィリャゾンとネト子ちゃんが悪者になってしまいそうですが、オペラに慣れてない人は混乱しそうな台詞とそぐわない場面が他にもあり、)


Q6

策略家ミミが(わざと)落とした鍵を暗闇の中で探すのは大事なシーンなのに、暗いどころか、やたら明る過ぎるんですけど。

真っ暗に近いくらいにして、キャンドルがゆらめく方がリアルだしロマンチックじゃないですか?


-------------------------------------------------------------------------------

Q7

最初は熊のように髪もヒゲもぼうぼうでないといけないコッリーネなのに、えらくさっぱりして登場し、床屋さんに行って変ったのは髪をオールバックにしただけって、いくら脇役でも手を抜き過ぎじゃありませんか? 

私がバリカン持ってたら、マルチェロの不精ヒゲ面の方に襲い掛かりたいですけど


-------------------------------------------------------------------------------


ところで、

オペラ三昧イン・ロンドン
プッチーニ生誕150年
ということで、イギリスのテレビでもやたらプッチーニを放映してますが、2、3日前にやってたラ・ボエームはシドニー・オペラハウス版でした。


これ何度も観てるのですが、ロドルフォのDavid Hobsonが凄くハンサムだからちょっとだけヨダレ出そうと思った見始めたら、つい全部観てしまい、ヨダレと共に涙も流しちゃいました。


これが数ある中でベストのプロダクションとは思えないけれど、やっぱり汗と涙を出しながら実際にしっかり歌いながらの映像は迫力がちがうわ。                         


           人気ブログランキング  キスマーク