<10月22日(土)>
気持ちの良い秋晴れが続いています。私にとっての大イベントが昨日終わったのでやれやれで、今日はのんびりとバレエのマチネに行きました。
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友人のT子さんは毎年お誕生日にパーティを開いてたくさんの招待して下さるんですが、今年はそれに東北津波チャリティも兼ねることになり、10月21日にチェルシーにある会員制クラブで百人くらい出席の賑やかなイベントになりました。ロイヤルファミリーもいらっしゃるという高級クラブで美味しいお寿司も頂けて、なかなか良い雰囲気でした。
数人による余興があった中、私も20分くらいお琴を弾かせて頂きました。
この日は朝から会社を休んで付焼刃で最後の練習をして臨んだのですが、人前に出ると練習の時の7割くらいしか弾けませんね、やっぱり・・・。
パーティでお喋りしてる人もいるのでマイクロフォンを使うのですが、自分自身がよく聴こえず、こんな機会は滅多にないのでちょっと難しい曲にも挑戦しようと背伸びしたこともあり、お恥ずかしい演奏になってしまったのではないかと・・・。
優しい皆様は誉めて下さったのですが、あれこれ反省。でも、このために珍しく練習したことは私にとっては収穫だったし、私自身の知り合いも何人かお誘いして、初めて私の演奏を聴いて頂けたのは嬉しかったです。満足な出来だったとはとても言えませんが、途中でお琴の糸が切れるという一番怖れている事態にならなかっただけでも良しとしましょう。随分長い間張り替えてないので、マジで心配なんです。
弾いたのは代表的な古曲「六段の調べ」と、私にはお馴染みの坂本勉さんが60~70年前に作曲した「雨」と「四季の小学唱歌」ですが、実は四季の小学唱歌」には思い入れがあり、中学3年の特に卒業謝恩会で弾いたんです。私は6歳になるやならずでお琴を習い始め、自分の意志ではじめたわけでもないしやる気もなくダラダラお稽古にだけは行ってたんですが、お琴なんて女の子らしいお稽古事してるなんてイメージとかけ離れてて恥ずかしいので、なるべく内緒にしてたんです。でも最後だし、同じ高校に進む同級生も少ないのでもういいかと思ってカミングアウト。舞台で独奏したのははじめてだったので記憶に残ってるんですが、どう考えてもその時の方が今より上手だった・・・。 この年になると、悲しいかな、30年のギャップは埋まらないのは仕方ないんでしょうね。
でも、まあ、海外にいるからこそ機会もあるわけだし、日本文化の紹介に微力ながら役に立てるのであれば、私なりのボランティア活動としてぼちぼちできる範囲でやっていくことにします。人前で弾くという強迫観念がないと全く練習しない怠け者の私に必要なのは機会ですから、できれば本来のお琴の音色を生で聴いて頂けるような少人数の方がいいのですが、なにかあれば声掛けて下さい
ところで、私の椿柄の着物は朱色掛かった鮮やかな赤なんですが、これにしたのは理由があり、イベントのテーマ・カラーが赤だったんです(日の丸の国旗に因んで)。
なので、バースデー・ガールのT子さんには私の綸子の赤の椿小紋をお召し頂き、着付けのA先生は濃いピンクで可愛いらしく、
はーい、 赤いおべべの3人娘
A先生はその後パーティたけなわの時間にお得意のタンゴを踊るために赤いドレスに網タイツというセクシーな姿に変身。男性パートナーとの息の合ったダンスでやんやの喝采を浴びました
で、先生とは違い必然性はないけれど、お琴の片付けがしやすいように、私も便乗してワンピースに着替えちゃいました。
あら、偶然、私の琴運搬用袋も赤、椅子も赤
ところで、滅多にないのに、ある時には重なるもので、10月28日(金)にもお琴を弾くチャリティ・イベントがありますので、ご興味ある方はいらして下さい。
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こちらはちゃんとしたコンサートで、琴と三弦7人の他、ピアノやヴィオラの方のゲスト出演もありますが、ほとんどお稽古になんぞ行かない幽霊部員の私は合奏2曲にちょこっと参加するものの、主な役割は着物着付係とトーチャンを撮影係として差し出すことかしら。