今日なんか冬到来まじか!という寒さのロンドンですが、真夏のローマ紀行の先を急ぎましょう。まだ半分も終わってないので。
写真はクリックで拡大します。
<9月5日(金) その1>
数あるローマの名所旧跡の中でどこに行くかをトーチャンが決める際に参考にしたのが彼の父親のローマ旅行です。大戦中ナポリに駐屯中だったオジーチャンが1945年4月に休暇をもらってローマを歩き回った時のルートを辿ったわけですが、時々、軍服姿の若いオジーチャンが私たちと一緒に歩いてる錯角に陥ったりもしました(こんな姿→写真 )。
カメラが趣味のオジーチャンでしたが、兵役中ではカメラ持参は無理で、ローマは変っていないとは言え写真が残っていないのが残念ですが(たまにスケッチが載ってました)、5日間で精力的にローマ中を歩き回り、私たちも休憩もなく歩いたつもりなのですが、オジーチャンの驚異的なペースには全く敵いませんでした(トーチャンが写真を撮るために立ち止まる時間が長かったせいなのであり、私がへたばって後れを取ったからじゃないですからね)。
というわけで、今日はまず、有名ではないけれど、オジーチャンも行ったからという理由で、ピラミデとイギリス人墓地へ。
ピラミデPiramideは紀元前12年に死んだローマの法務官のために作られたお墓で、一辺22m、 高さ27m。隣には港への街道の入り口に建つサン・パオロ門。古代ローマの城壁がたくさん残っています。
次はすぐ近くのイギリス人墓地Cimitero degli Inglesi。
これは別名で、正式には非カトリック教徒の墓地Cimitero Accattolicoというのだそうですが、18世紀後半から芸術家や文人の間で流行ったローマ巡礼にはイギリス人が多かったのでしょう。
こないだ訪問した スペイン階段に面したアパートで25歳で死んだキーツが賑やかな区画から離れてひっそり埋葬されているのは、結核で死んだからでしょうか?隣に親友画家がいるのは救いですが・・
シェリーの墓は皆と一緒の一角にあり、そこにはイタリアにしばらく住んだゲーテの息子も葬られています。
キーツ&シェリー記念館同様、ごく少数のイギリス人が訪れるだけのようで、きちんと手入れされているのは嬉しかったですが、明るいけれど静かな悲しみに満ちた場所です。遠く故国を離れた土地に葬られるって、私も他人事ではないし・・・
はい、ここから、トーチャンに言わせれば歩いてすぐのカラカラ浴場Terme di Caracallaへ。
城壁沿いに20分くらい炎天下を歩いたでしょうか・・・・・道でタクシーを拾えないのがローマの欠点・・・もっともこんなこんな何にもない所にタクシーなんぞ走ってませんが・・・
私のTシャツは、アニメ「銀魂」の定春 。東京の少年ジャンプ・ショップで買いました。
カラカラ帝(在位212年~ 217年)が造った公衆浴場ですが、ただのお風呂屋さんではなく、一大娯楽センターだったようです。一度に1600人が入れるという巨大な規模に、初めて訪れたトーチャンとムスメはびっくり。
大理石やモザイクの床や壁、芸術的な彫像で、さぞや美しい憩いの場だったのでしょうねえ。
そして、
ここは、1974年、大学生のときに私が初めてオペラの生パフォーマンスを観た思い出の場所でもあります。
ヴェルディのアイーダでしたが、過去の記事 で書いたように、遠くの席だったし、もちろん字幕はなく、どちらが奴隷アイーダか王女アムネリスすらわからなかったくらいで、ここでのオペラ=退屈という経験から回復するのに20年掛かりましたわ。
この古代遺跡が背景の夏の野外オペラ、最近またやりはじめたようですが、残念ながら今年はもう終わってました。
次の目的地は映画「ローマの休日」でお馴染みの真実の口。オジーチャンの足取りを辿ろうとすると徒歩なのですが、足のマメが痛くて泣いている私をトーチャンもさすがに哀れと思ってか、バスに乗ることになりました
トーチャン、ありがとう。
って、途中にはなんと超巨大な古代ローマの楕円形競技場チルコ・マッシモ跡なんて所も越していくんだから、普通は歩かんだろ
真実の口広場Piazza della Bocca della Veritaにはギリシャ柱が美しいヴェスタの神殿や、真実の口のあるサンタ・マリア・イン・コスメディン教会Santa Maria in cosmedinがあります。
← 塔の下にある教会の回廊にある真実の口は、古代ローマのマンホールの蓋なんだそうですよ。
30人くらいの観光客が写真を撮るために並んでました。
教会の内部 私は嘘つかないから手突っ込んでも平気だもんね~ 、というのが最大の嘘か?
(続く)
これだけ歩いても、この日はまだランチも食べてない・・・・